復活節第5主日説教(2017年5月14日)
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。」ヨハネによる福音書第14章1節のみ言葉です。
私たちが動揺するときはどのような時でしょうか。それは突然思いもつかなかったような事が起きた時、絶対の信頼を寄せていた物が崩れたとき、時間が迫ってきたときなどいろいろ考えられると思います。それはいくら事前に準備したり、理解しようと心の備えをしてきても動揺してしまうものです。「どうしよう、どうしよう。」考えれば考えるほど不安は大きくなって動揺によって押しつぶされそうになっていきます。私も準備していたものを忘れてしまったとき、突然予想外の事が起きたときなど本当に焦ってしまいます。冷や汗出て、心臓がどきどきして大変です。皆さんもそのような体験がおありかと思います。そのような状況を少し思い浮かべながら今日の福音書の主のメッセージを聴くと良いのではないかと思います。動揺する弟子たちに対する主の言葉に心を向けて参りましょう。
本日の福音書は、ヨハネによる福音書14章1~14節です。ヨハネによる福音書の第14章から17章は最後の晩餐の席で主イエスが弟子たちに語られた告別説教です。
最後の晩餐の席でイエスは弟子たちに「心を騒がせるな」と言われました。弟子たちが動揺していることをイエスは知っておられたからです。「神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい。」信じることによってしか、この時を耐えることはできないのです。主イエスは弟子たちのもとを去っていこうとしておられます。父なる神のもとに行き、準備ができたら戻ってきて弟子たちを迎える、」と言われています。」
しかし弟子たちの不安と動揺は増すばかりです。トマスは言いました。
「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
分からないのです。イエスが行かれるという道が分からない。イエスがおられなくなったら、自分たちはどうしたらよいのか。自分たちの道も分からない。何を頼りに、どうしていいのか。弟子たちの動揺は頂点に達しています。
トマスに対してイエスは言われます。「私が道である。」分からなくてよい。わたしがどこへ行くか、自分たちはどこへ行くのか、分からなくてよい。ただ、わたしを信じなさい。信じてよい。わたしを信じていなさい。ほかのことは分からなくてよい。わたしがその道なのだから。
「心を騒がせるな」と言われるイエスは、不安や動揺を知らなかったかたではありません。「心を騒がせるな」と言われたイエスご自身が、自分の死期が迫っていることを感じて、「今、わたしは心騒ぐ」と呻いておられたのです(ヨハネ12:27)。「父よ、わたしをこの時から救ってください」とも。
恐ろしい不安と動揺の中でイエスは神を呼び、自分の使命を確かめ、決意を定められたのでした。
イエスは私たちにも「心を騒がせるな」と言われます。そう言われるかたは、心の騒ぎを知っておられるかたです。このかたのもとで私たちは心を騒がせ、このかたのもとで心を静められ、道を示され、前に向かって歩む決意へと導かれます。
動揺して不安でたまらないときはどうぞ主のみ言葉を思い出してください。
「心を騒がせるな」「私を信じなさい。」
主イエスのみ言葉が私たちの心にしみわたりますように。