大斎節前主日(2017年2月26日)礼拝説教

「起きなさい。恐れることはない」

イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」

(マタイによる福音書17:7)

 

今週の水曜日から大斎節に入ります。毎年大斎節前主日に読まれる福音書はイエス様が山の上で光り輝く姿を見せた「主の変容」の場面が読まれます。「6日の後」(マタイ17:1)とは、この出来事の6日前にペテロがイエス様に向かって「あなたはメシア」ですと告白しました。それを受けてイエス様はペテロとヤコブとヨハネだけを連れて高い山に登り、そこで今までに見せたことのない光り輝く姿を3人の弟子の前で著わしました。ペテロはこの瞬間をいつまでも続いてほしいという思いからなのか仮小屋を建てるという提案をしました。しかし、栄光に輝く姿は一瞬でした。イエス様は山の上に留まっているわけにはいきません。

私たちも「栄光」の瞬間に浸り続けていたいと思います。しかし、栄光は長くは続くものではありません。イエス様はこれまでも弟子たちを同じ場所に留まらせることはしませんでした。旅を続けたのです。弟子たちも揺れ動きながらも主に必死にしがみつきながらこれまで歩んできました。そのイエス様が死の予告をされたことはペテロにとってショックなことだったでしょう。だからこそ、変容が必要だったのではないでしょうか。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」(マタイ17:5)という声は主の洗礼の場面と同じです。イエス様の宣教においてとても重要な場面です。宣教の開始を告げた洗礼、そしていよいよ十字架の死へ向かう前に同じ言葉が天から聞こえたのです。ペテロたちは恐れましたが、イエス様は「起きなさい。恐れることはない。」(マタイ17:7)と言われました。下山後には十字架刑への道が待っています。

主イエスに従う道は、楽な道ではありません。そういう意味でキリスト教信仰はご利益宗教ではありません。むしろ困難の連続かもしれません。人生の悩みは尽きません。悩みを解決する特効薬はありません。

しかし、大風が吹きながらも木の枝が幹にしがみついて揺れても離れないで成長するように、私たちも日々揺れ動きながらも成長させられているのだと思います。

イエス様が語られた一つ一つの言葉や行いにじっくりと自分自身の心を向けていくと実に多くの励ましと慰めに満ちた希望のメッセージが私たちに与えられていることに気付かされます。主の変容の場面もまさにそうではないでしょうか。

栄光から十字架へ向かう下山の前に弟子たちに語られた「起きなさい。恐れることはない。」という主の言葉は、まさに私たち一人一人へのメッセージなのです。