大斎始日(灰の水曜日)礼拝説教(2017年3月1日)
「大切にしたいもの」
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイによる福音書6:21)
大斎節に入りました。大斎節は元々、復活日に洗礼を受ける洗礼志願者のための最後の準備期間でした。それがいつしかすべてのキリスト者が洗礼を志願した時の事を思い出し、イエス様が荒れ野で悪魔の誘惑に打ち勝ち公生涯を歩まれたことに思いを向けながら、主の旅は十字架への道へと続くことを深く黙想する時となりました。
「大斎を失う者は一年を失う」という言葉を私は毎年大斎節を迎えるごとに思い出しています。
大斎始日に選ばれている福音書はマタイによる福音書第6章1~6,16~21です。
福音の中心は冒頭の聖句にあると思います。
私たちは社会の中で他者との関係の中で生きています。人に好かれるため、また人から良く思われようと思います。人間としてこれは本能的な部分だと思います。社会の中で生きいくためにはどうしても必要なことです。
その上で冒頭の聖句を考えてみたいと思うのです。
「富」のあるところとは何でしょうか。私はこの言葉を「自分が大切にしている世界」「自分が一番最優先している範疇」というニュアンスで考えてみました。福音書でイエスが批判している行動はすべてが結局「自分のため」であることに気づかされます。
生きていると予定外、思わぬトラブルに遭遇するときがあります。そんな時に日頃の気持ちの持ち方によって対応能力が変わってくるのではないでしょうか。
「富のあるところ」が「己」なのか「そうではないのか」、これが分岐点です。
大斎克己献金の「克己」とはまさに「己に克つ」鍛錬のための献金教育です。聖公会独自のものです。
大斎節の間、どうぞ己の富のあるところについて考えてみてください。そして本当に大切にしなければならないことは何なのか考えて、本当に大切な「宝(トレジャー)」に心を置くことが出来ますように。