イエスさまはいつもみんなのそばにいるよ
司祭さんは、昨日お仕事をしに仙台に行ってきました。
外は寒かったので、セーターを着ていったら、お隣に座っていたふくよかな人は半そでを着ていました。司祭さんも身体が大きいから、席はきつきつでした。その人は東京から来られたそうで、東京は気温が30度まで上がったんですって。
お隣に座っていた人に、「私が住んでいる八戸は桜が咲いたんですよ。」と言ったら驚いていました。風がびゅんびゅん吹いていたから心配だったけど、今日はあたたかくてよいお天気で、まだ桜が見られそうですね。
八戸はあったかいとは言っても、まだ寒い時もあります。こんな時も楽しく過ごしたいとおもいます。
今はイースターという季節です。イエスさまが十字架に架けられて死んでしまいました。
日曜学校のお礼拝では、61番「ほろぶるものを」を歌いますね。
イエスさまが死んだ時、誰も死んだ人がよみがえるなんて信じられなかったんです。イエスさまからいろんな教えを学んでいたお弟子さんたちも、大好きだったイエスさまとのお別れはとても悲しいものでした。
その悲しんでいるときに、ある男の人がとことこついてきたんです。その男の人は「なんのお話をしているの?」と尋ねました。お弟子さんたちは「あなたは知らないの?イエスさまが死んじゃったんだよ。」と答えました。
そうこうしているうちにだんだん夕方になってきました。男の人は「今日はあなたたちと一緒にお食事しましょう。お弟子さんたち、パンを取ってきてください。」そう言って、男の人はお弟子さんから受け取ったパンを割きました。お弟子さんたちははっとしました。
「あれ、パンを半分にしてるのって、先生もこんなことをしていたな。」
お弟子さんたちはその男の人を見てだんだんわかってきました。
イエスさまは、ご自分が死ぬ前に、お弟子さんたちに「パンを割いて食べる時に、私はあなたたちと一緒にいるということを忘れないで。」とおっしゃいました。お弟子さんたちはその言葉を思い出してまたはっとしました。その時、彼らの目は開かれて、その男の人はイエスだとわかりました。イエスだとわかった瞬間、イエスさまは消えてしまわれました。
教会では、毎週10時半から、パンを割いてみんなで食べる「聖餐式」というお礼拝をしています。
それはまさに、パンを割いて食べる時に、イエスさまは目には見えないけど、みんなで割いたパンを食べる時に、イエスさまは一緒にいるんだなということを確認しているんです。
みんなで割いて食べるということはとっても大事なことなんです。
例えば、みかんが一個しかありませんでした。そこに人は5人いました。
さあ、そのみかんはひとりで食べる?
たった一個しかないみかんを5人で分け合ってたべると、きっと楽しくて美味しいと思うんだ。分け合って食べるということは素晴らしいことです。
もうひとつ。
ビスケットが一枚ありました。司祭さん一人で食べたいかもしれないけれど、一人で食べないでみんなで分けます。
食べ物をみんなで分け合って食べてみてごらん。とてもあたたかい気持ちになれますよ。
そこに私も一緒にいますとイエスさまは教えてくださっています。
いつか、日曜学校でパンをこねこねして焼いて、みんなで分け合って食べるという経験も出来たらよいなと思います。
イエスさまがみんなと一緒にいるんだなということを覚えていてくださいね。
さあ、今日の分級は、ひとりひとり渡された鉢に名前を書いたシールを貼ります。
鉢の底に敷く石を探します。
「あ、見つけた!」
でこぼこの石、小さい石、大きな石をそれぞれ見つけて入れます。
石を入れたお友だち、こっちにおいで~!
石の上に土のお布団を敷くんだよ。
ふかふかの土のお布団を敷いたら、今度はそこに穴を数か所開け、種を入れます。
更にお布団を掛けてお水をかけます。
たっぷりあげてね。
毎日の水やり、忘れないでね。
芽が出てきたら教えてね♪