2017.6.25 糧について
先週の日曜学校では、小学生を中心にお礼拝の司式の練習をしたと聞いて、司祭さんはとっても嬉しかったです。
司祭さんも小学生くらいの時に仙台の教会の日曜学校の礼拝で、ろうそくを点けたり献金や聖書を読んだり、司式をするお当番がありました。
みんなが司式をしてくれる日をとても楽しみにしています。
今日は主の祈りについておはなしします。
主の祈り
天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国がきますように
み心が天に行われるとおり
地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をおゆるしください
私たちも人をゆるします
私たちを誘惑におちいらせず
悪からお救いください
国と力と栄光は永遠にあなたのものです
毎週私たちはこのように必ずお祈りしています。
さて、糧とはどういうことでしょう。
私たちが日曜学校に来る前におうちで食べてきているもの。そう、食べ物のことです。
さて、なんでイエスさまはこのようなお祈りを教えたのでしょうか。
「食べられない人がいるから!」という意見が出ました。
ご飯が食べられないとどうなりますか?
そう、死んでしまいます。
この世界にはね、16秒数えるごとに一人死んでいます。
信じられないでしょう?悲しいね。
私たちはお金を持ってお店に行けばいつでも食べ物を買うことができるでしょう?
でも、世界には食べられない人もいるんです。
司祭さんはお隣の国韓国に行った時に、ある女性からリンゴをひとつ頂きました。そして、「そのリンゴを半分頂けませんか?」と言われたことがあるんです。
その女性にとってはやっと食べられるりんごだったのでしょう。
6年前には東日本大震災がありましたね。
そのとき、司祭さんはコンビニやスーパーに行きました。そしたらね、いつもある食べ物がなんにもなかったんです。
私たちの日本の社会は、もし災害が起こるとあっという間に食べ物がなくなっちゃいます。
でもよく考えてみて。
【私たちの日ごとの糧を今日もお与えください】ってお祈りしてるでしょう?
お腹いっぱい食べなくてもいいんです。
私「たち」の今日食べる分のご飯をお与えくださいという意味ですよ。
聖書にはこう書いてあります。
【私が命のパンである】
みんなが食事ができるようになれば心が豊かになれます。
そしてイエスさまのことをいつも考えて過ごすと身体だけではなくて心も大きく育つことが出来ます。
どうか、みんなが食べられるご飯を与えてくださいといつも祈りましょう。
今日の分級はひろこ先生です。
新聞紙を敷いて机の上にはクレヨンと紙が置いてあります。
何を作るのでしょう!