大斎節第1主日礼拝説教(2017年3月5日)
大斎に入りました。復活日までの40日間を祈りと悔い改めの期間として、また自己を振り返る時として大切に過ごして参りましょう。
さて、大斎節第1主日の福音書は、古くからの伝統に従って、主イエスの荒れ野における誘惑物語が、読まれることになっています。
「悪魔」は、「誘惑する者」として登場してきます。悪魔はイエスを3つの仕方で誘惑をしますが、イエスはそれらをすべて退け、誘惑に打ち勝っていきます。
そのときに言った言葉が「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」、「あなたの神である主を試してはならない」、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とそれぞれ語られましたが、それはどれも神に対する完全な信頼と従順の言葉であります。
それに対して旧約聖書で創世記より天地創造の場面が選ばれておりますが、そこに登場してくるアダムとイブ、そして誘惑する者として蛇がいます。
アダムとイブは神様から園の中にあるどの木からとって食べてもいいが善悪の木からだけは取って食べてはいけないと言われていたことを知っていたにも関わらず、蛇の誘惑に負けてしまい、実を食べてしまいました。神に対する裏切り行為です。これが我々の原罪です。
何て、好対照な場面でしょうか。一方では、悪魔の誘惑に打ち勝ったイエス、しかし一方では蛇の誘惑に負けてしまったアダムとイブ。
このとき、私たちはもう一度イエスが悪魔を退けた3つの言葉を思い巡らしましょう。
そして、もう一つさらに今日与えられたみ言葉を深めるために創世記の2章7節のみ言葉に心を留めたいと思います。
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」とあります。
私たち人間は塵に過ぎないものから、神様によって命の息を吹き込まれて、そして今こうして生かされているわけです。天地創造という私たちの人知を超えた壮大な神様のご計画によって私たちは人間として創造されたのです。このことを決して忘れてはいけないと思います。神様の命の息がなければ私たちは生きていくことができないのです。それにも関わらず、アダムとイブは罪を犯してしまい、楽園を追放されてしまうのですが、神様は彼らを見捨てたわけではありませんでした。見捨てるどころか祝福を与えたのです。
私たちもたくさん罪を犯しています。自己本位な生き方によって、様々な誘惑に負けてしまっています。その結果、神様に対して背を向け、他者を傷つけてしまっています。
ですから、私たちは悔い改めなければならないのだと思います。そして、大斎節がまさにその時として最も適した時ではないでしょうか。
主イエス様の3つの言葉を心にいつも巡らして、私たちが塵から創造され、神様の息によって生かされていることを覚えて、この大斎の時を過ごしてまいりましょう。