顕現後第7主日(2017年2月19日)礼拝説教
顕現後第7主日 説教
「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい。」(マタイによる福音書5:48)
新共同訳聖書では「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と訳されているこの箇所ですが「完全な者となりなさい」をどのように解釈していいのでしょうか。この言葉はギリシャ語のテレイオスが原語になっています。その意味として「完全」という意味もありますが、「十分に成長した、成熟した、おとなの」という意味もあるようです。神さまというお方は清濁併せ吞むお方であり、日本語ではそういう人の事を「あの人はおとなだ」とか「あの人は本当に出来た人だ」といいます。神さまはまことに善人にも悪人にもへだてなく太陽を照らし、雨を降らせてくださり、そして分け隔てのなさらない方であるまことに出来たお方です。そのようにあなた方も「出来たもの」になりなさいとイエス様は教えてくださっているのです。このようにテレイオスの意味をとらえると納得出来るのではないでしょうか。「完全な者になりなさい」では人間は神さまのように完全な者になることはありえないのであって「出来たものになりなさい」という訳の方が素直にうなずけるのかもしれません。そして、テレイオスにはもう一つ大事な含みがあります。それは「完全な」という意味が持つ深みです。それは神さまが天地創造をされた時にすべてのものを「よし」とされ、不完全なものとしてではなくあらゆるものはテレイオスなものとして創造されたのです。その事から考えてみると下手に手を加えるのではなく、そのままの姿が一番美しく、良いものであるということではないでしょうか。新鮮な水、米、肉、魚、野菜などは一番シンプルに飲み、食すのが一番おいしいということは良く言われることです。人間にもあてはまるのでしょう。神さまから造っていただいたままの、自分のありのままの姿が本当は一番で、見栄を捨て、良いところも悪いところも謙虚に認め、あるがままの自分の姿に戻りなさいという含みがテレイオスにはあるのではないでしょうか。ディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌で有名な「ありのままで」でありのままでいいんだというメッセージが多くの人に共感を呼んでいます。しかし、そうは言っても私たちは常に様々な仮面をかぶって暮らしているものです。そう簡単には「ありのままで」生きていくことは出来ません。私は思うのです。「神さまの前ではありのまま」でいいのではないかと。なぜなら神さまは「まことにできた方」だからです。まことに出来た方ですから私たちは安心して、弱さ、破れ、悲しみ、怒りをさらけだしていいのです。これは大きな恵みです。その大きな恵みに支えられていることを知ることにより、私たちも少しでも「出来たもの」に近づけるようになりたいものだと思います。