大斎節第2主日礼拝説教(2017年3月12日)

この世を救うために来られた主イエス

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
(ヨハネによる福音書3:1~17)

東日本大震災発生から6年が経過いたしました。先週の金曜日に八戸幼稚園の3月生まれの園児の誕生感謝礼拝と祝会が行われたのですが、年長組のある園児は震災から3日後の3月14日に生まれ、そのときのお話しを伺うことが出来ました。また、あるお母さんからは実は私も車が津波で流されましたと話して下さいました。それぞれにあの日の事を思う日となった思いがしました。
あの地震から6年。来週22日に幼稚園の卒園式が聖堂で予定されておりますが卒園していく子どもたちは2010年4月から2011年の3月までに生まれた子どもたちで今から6年前に生まれた子どもたちです。
子どもたちの成長を見ると6年が月日が経過したことを改めて感じます。今日時点で警察が公式に発表している数字ですが、東日本大震災で逝去された方は15,839人、行方不明者2,553人、避難者数123,168人です。1人1人にそれぞれの人生が、家族があったことだと思います。私たちはその事実を忘れずに祈り続けていかなければならないと思います。
先週八戸市役所に用があって出かけた時に市役所の玄関前に八戸の震災当時の写真が掲示されていたので、私も足をとめて見てきました。八戸は復興が進みすっかり元の町並みを回復しているように思いますが、実際のところはどうなのでしょうか。大震災から6年が過ぎましたが、現実の復興はまだまだ時間がかかりますし、何よりも被災された方の生活が窮地に立たされてきています。支援が打ち切られようとしています。「希望はまったくありません。でもあきらめません。だってあきらめたら終わりですから」と言われた方の言葉が心に残っています。そのように思いたくなる気持ちは十分に分かります。私たちは降りかかる災いを神さまのせいにしようとします。この悲劇を、この悲しみを、この苦しみを、そしてどこにぶつけていいか分からない怒りを神さまに訴えます。聖書にも人々の悲痛の叫びが記されています。私は、このような私たちの感情を神さまは聞いてくださると思います。そして、イエス様はこの世を裁くためでなく、この世を救うために遣わされたと聖書に記されています。イエス様は、昔も今も変わらず私たちの現実と共にいてこの世を救うために今まさに働かれていることを信じたいと思います。